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ここでの“ボンサイ”とは「盆栽」と「凡才」との二つの意味を含みます。盆栽のように、マシンをカスタマイズすること自体を楽しんでいる凡才人のブログです。

富山 乗り鉄旅 [旅日記]

先週末から月曜にかけて、立山まで山登りに出かけてきた。
13日、日曜日の天気がよければ、日曜に登って月曜の昼頃に滋賀に帰ってくる計画だったが、朝から小雨がぱらついていたので月曜に登ることにした。
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代わりに日曜は富山市内の電車を乗ってまわる一日にした。
立山登山のハナシはまた次回。

富山の電車事情はおもしろい。
特に富山地方鉄道、通称「地鉄」は京阪電気鉄道や東武西武鉄道などから譲り受けた往年の名車を走らせていて、バラエティに富んだノスタルジーが楽しめる。
整備する立場に立ったら、いろんな電車をいじれて楽しい反面、整備コストがかかって苦しいのかもしれないけれど。
前回、6月に立山を訪れた際には富山市の中心部には立ち寄らず、立山駅から宇奈月温泉駅までの区間で、元「京阪テレビカー」と元「東武西武特急レッドアロー号」を乗り継いで楽しんだ。
今回は、北陸新幹線に初乗車して、市内を走る路面電車の全線、全車両形式を乗りつぶし、JR北陸線から第三セクター化した「あいの風とやま鉄道」に乗って富山を発つというプランである。

滋賀を出たのは9月12日土曜日、14:56米原発、金沢行きの特急「しらさぎ9号」で一路、北陸へ。
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在来線の特急「はくたか」で使われていた681系が北陸新幹線開業とともに「しらさぎ」に転用されたもので、車内販売も自販機もない。
おまけにモバイルコンセントすらなくなった。
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特急で行く北陸の旅がつまらなくなってしまったなあ。

金沢からは17:03発、富山行きの新幹線「つるぎ」718号で富山まで。
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北陸新幹線には「かがやき」「はくたか」「つるぎ」があるが、「つるぎ」は金沢-新富岡-富山の短い区間を往復し、「シャトルタイプ」と呼ばれているらしい。
北陸新幹線が開業する前は富山まで運行されていた特急「しらさぎ」や特急「サンダーバード」を金沢止まりにして、金沢−富山を新幹線に振り替えるということらしい。
これまでは大阪や名古屋から乗り換えなしで富山まで行けたのに、今では金沢で乗り換え、しかも新幹線改札口を通らなければならない。
北陸新幹線は、関西方面からの利用者にとってはちっともうれしくない存在である。
でも車両の前面形状は、500系新幹線以来のイケメンだ。
カラーリングは過去最高の出来ではないだろうか。

17:26に富山に着いて、ひとまず駅前の富山地鉄ホテルにチェックイン。
せっかく地鉄を乗りつぶすのだから、電鉄富山駅の駅ビルホテルに泊まらなくてはね。
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で、夕飯は富山の名物ラーメン「富山ブラック」。
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しょっぺー!
アルデンテに茹でられた太麺は噛み応えが楽しいが、しょっぱいスープが主張しすぎ。
チャーシューにふりかけられた粗挽き胡椒がカリッとさわやかな辛味のアクセントを見せるが、しょっぱいスープが主張しすぎ。
一口だけスープをすすってみると、昆布だしだか、鰹だしだか、海産物系の旨味も感じるが、しょっぱいスープが主張しすぎ。
なんかもう、なにもかも台無し。
まるで、わたしが作って塩加減を失敗した料理のようなしょっぱさに幻滅した。
真っ黒スープで味の濃いラーメンと聞いて、常滑の「競艇ラーメン」や「常滑チャーシュー」のような“クセになる濃い味”を期待していたところへ、ガツンと予期せぬ一発を食らって頭の周りをちかちかとホタルイカが踊っている。
その晩は夜中まで喉が渇いて、まいった。

翌朝、天気が小康状態になるまでホテルでゴロゴロ過ごし、乗りつぶし旅スタート。
まずは、不二越(ふじこし)・上滝線で岩峅寺(いわくらじ)まで。
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地鉄の鉄道駅は侘び寂びのある駅が多くていいねえ。
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寺田経由で電鉄富山に戻って路面電車の乗りつぶし。
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4種類ある車両の全部の形式に乗って全線を巡った。
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T100形の車両後方に座ってグネグネと曲がる車室内を眺めるのも楽しいが、やっぱり7000形のノスタルジックなサウンドはしびれるねい。
ブィーンと加速する吊り掛け駆動。
ドンゴドンゴドンゴドンゴ… ドン グゥー ドン と響くコンプレッサー。
子供のころに、よく王子駅前から乗った都電を思い出す。
日曜祝日のみ運行の「レトロ電車」に採用されている水戸岡鋭治デザインの内装も好きだな。
初めて水戸岡デザインに触れたのは岡山電気鉄道の「momo」だったっけ。
柔らかい感じがいいねえ。
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富山駅南を中心に市内へ展開している地鉄市電を乗り回した後は、駅北から富山港方面へと延びる富山ライトレール、通称「ポートラム」で1往復。
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駅近くは併用軌道になっていて、途中から旧JR富山港線の線路を転用した専用軌道を走る。
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いずれ富山駅が高架化されたのちには、その下に地鉄市電とポートラムを結ぶレールが敷設され、相互乗り入れが計画されているのだが、専用線を旧式の7000形は走る姿は一度見に来たいなあ。
ますます都電荒川線を走っていた7000形を思い起こさせることだろう。

翌、月曜日は立山に登ったのち、金沢まであいの風とやま鉄道の普通、521系電車に乗り、特急「しらさぎ」で米原まで帰った。
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本当はもう少し早い時間に帰るつもりだったのだが、失敗続きで下山が2時間遅れ、乗った電車は18:41富山発、あたりはもう真っ暗だった。
それにしてもこの列車、わたしがホームに上がったときは車内の8割ぐらいの席が埋まるほど乗客が乗っているにもかかわらず、まだ方向幕が「回送」表示のままだった。
3番線に入ってくるのは金沢行きだけなのかもしれないが、ヘタすりゃ琵琶湖の対岸に行ってしまう地域に住んでる身としては、行き先が表示されていない列車に乗り込むのはどうにも不安でしょうがない。
富山市民にとっては、もはや日常化しているのだろうか。
もしかして、JR北陸本線のころから続く伝統なのか?

富山駅といえば、むかし、帰省して寝台特急「トワイライトエクスプレス」で札幌に戻るときの苦いエピソードがある。
富山駅で停車した際にホームのキヨスクでますの寿司を買っていたら、停車時間が短くて置いて行かれてしまったのである。
正月明けの冬のさなか、コートも荷物も列車とともに駅から去り、寒い格好で片手にますの寿司を持ったまま、夕日が沈む富山駅に取り残された。
あのときは焦ったなあ。
結局、駅員さんの計らいにより、次に富山に入線する特急「雷鳥」に乗せてもらって難を逃れた。
雷鳥に乗ると途中でトワイライトを追い越して、直江津で下りれば先回りできるというダイヤだったのだ。
ザ・西村京太郎の世界。
真っ暗になった直江津のホームでガタガタ震えながらトワイライトを待った記憶は、もう20年以上も前の話だけど、一生忘れないだろうなあ。
そんな記憶の中の富山駅も今は昔、20年前の面影はどこにもない。

でも、これからの富山駅周辺もおもしろそうだ。
ノスタルジーもいいけれど、鉄道は利用者にとって便利で快適でなくてはね。
進化していく富山駅周辺の変化をつぶさに見ていきたい気がしてきた。
地鉄で英語を流暢に話せる鉄道員を募集してないかなあ。
映画『RAYLWAYS』じゃないけど、富山に転職しちゃうかも。
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あおたけ

立山登山と合わせて楽しまれた富山の乗り鉄旅、
富山地鉄の駅はホントに
味のある駅舎が多いですよね~(^^)
お写真に写っている岩峅寺は駅舎も好きですが、
立山線と上滝線を結ぶ渡り廊下もいい感じなんですよね。
ポートラムはとトラムへ転換された直後に
乗りに行ったきりなのですが、
今も富山港線時代の面影が残っているのかな…。

あ、ちなみに重箱の隅をつつくようですが、
富山地鉄を走る「元・レッドアロー」は
東武ではなく西武からの譲渡車です。(^^;)

by あおたけ (2015-09-20 15:01) 

nozzy

岩峅寺駅をはじめ、どこをとっても味があるので、ブログに掲載する写真に迷いました。
こんどは、じっくり駅を撮影する旅に来たくなるぐらいです。
ポートラムは、車窓から見える範囲ではJRの盲腸線から転用したとは思えないぐらい近代的な印象でしたから、あおたけさんのおっしゃる面影はもうないのかもしれませんね。
ただ、奥田中学校前駅から北陸本線に向かって延びていた線路の跡地が遊歩道になっていたのが歴史を感じさせました。
レッドアローの件、おっしゃるとおりでした。
前回の記事では間違えなかったのに、今回はなぜか間違えてしまいました。
by nozzy (2015-09-20 18:22) 

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